暖かくなってしまえば早いもので、3週間前から始めたジョギングの道程にある室内プールとコンサートホールの屋上に芝を植え込んだ敷地は、いまや夏日を余す所無く浴び身の丈ほどに成長した雑草で覆い尽くされている。
ポピーやマーガレット、ラベンダーセージやアザミの咲き誇る、屋上へと続く傾斜から見上げる光溢れる風景は、昔見たルノワールの絵画を思い起こさせ息があがる苦しさも忘れ見入るのが常だ。
ところが昨日今日と今やベルリンのどこの公園からも聞こえてくる芝刈り機の轟音、 昨日の明け方からはここの敷地でも聞こえ始め、雄々しく伸び上がった野生の草花、今朝のジョギングを始めた頃にはすでに半分以上が姿を消していた。
日差しを照り返し咲き誇る野の花の美しさは生けられたものと比べようも無いのだけれど、このまま手折られてゴミ袋に集められてしまうのも忍びない、というよりも先ず自分がまだ見ていたい、その欲求を堪えきれず摘んだ花々。
小さな花束を握りしめて家路へと走る姿は、 道路工事中の男性には冷やかしの対照にしかならないが、仕事へと向かうスーツ姿の年配女性は、まるで共犯者のような含み笑いと共に、穏やかな眼差しを向けてくれる。

子供の頃は屈託なく摘めていた野生の花へ、いつしか手折る罪悪感に戸惑って、手を伸ばせなくなったのはいつ頃だろう。横柄な芝刈り機に憤慨するのはやましさに対する単なる口実で、本当のところはその必要性も充分分かっているのである。