Prenzlauerbergで友人達とのんびりブランチをした後、そのカフェで懇意になったベルリーナーのヴァンでVillalobosが回すというClub der Visionäreへ移動。のんびりと日が落ちるまで川辺で春の陽光を満喫し、ヴェストファーレン州からわざわざ派遣されたという警官隊と軽口を交わしつつ、着いた Simon-Dach Kiezのバス停の屋根の上でパンクスの暴動具合を素見し、道路封鎖と飛び交う舖石をかいくぐって、当時はまだRosenthalerstrにあったワイナリーへ辿り着くと、そこでブラジル人がいうところの"japanische geile Gemüse"(「日本のイカす野菜」)について赤ワインを飲みつつ談義しながら、DJブースでレコードを漁っていたように思うが、気がついたらWeddingにある友人宅の寝室の床の上、雑魚寝状態で目を覚ましていた。
自宅に帰り着いたのは3日の夕方で、出迎えてくれた同居人はどこぞで頭をカチ割られて死んでいるかと思ったけどまぁ無事でなにより、と呟きながら取り出したグラスに赤ワインを注いでくれた。
いわゆる暴動の中心地で5月1日を過ごしたのはこの年が最初で最後だった。夏めいた日差しに冬ごもりで鬱屈していた気分も高揚していたのか、僅かながら溜まっていた若気の残滓かは分からない。
ベルリンではオープンエアのカフェやバー、クラブがお開きとなるのもこの日なので、それも相まって夏の始まりという気分が嫌が応にも高まるが、今年はベルリンから離れ田舎で友人のバースデーを祝った。





残念ながら、まだ肌寒さの残る今年の5月。焚火と鍋の中のグーラッシュ、バーベキューとケーキ、音楽に乗って止まらない足にアルコールで暖をとる。夏の訪れはまだだいぶ先になりそうだ。